1. Top » 
  2. スポンサー広告 » 
  3. サッカーにおける人種差別とは?
  4. サッカー » 
  5. サッカーにおける人種差別とは?

スポンサーサイト

Category: スポンサー広告

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


-------- -- --:--:-- | | PageTop▲

サッカーにおける人種差別とは?

Category: サッカー

物議を醸すことは分かり切っていると思うのだが、発言の意図は何だろうか。

中村俊輔、イタリアの人種差別を批判=UEFAの公式サイトで
【ローマ12日AFP=時事】スコットランド・プレミアリーグのセルティックでプレーする日本のスター・サッカー選手中村俊輔(写真)は、欧州サッカー連盟(UEFA)の公式サイトに掲載されたインタビューで、イタリア・サッカー界の人種差別を批判した。
 中村は2005年にセルティックに加入する前、イタリアのレッジーナで3シーズンにわたって活躍した。中村はインタビューで東洋の選手が西欧のクラブに適応するのは難しいとし、「日本人選手にとって欧州に来るのは非常に難しい。さまざまな国で、プレーのスタイルから文化的な相違まで、多くの(困難な)要因がある」と語った。
 中村はさらに、「時には、スコットランドではないが、イタリアのように人種差別を受けることもある。気持ちがいいことではないし、イタリアで成功する日本人選手がほとんどいないのは、おそらくそのためだと思う」と話した。
 セルティックとの契約があと1年となっている中村は、もう少し暖かい国、例えばスペインやブラジルのクラブに移ることを考えているのではともいわれているが、「そのような国のリーグでプレーしたいと考えたことがあるのは事実。でも、状況は厳しい。20代の前半、もしくは半ばだったら、ほかの国へ行ってプレーできるだろう。でも自分はすでに29歳であり、そのような移籍は容易じゃない」と語っている。 〔AFP=時事〕

[ 2008年1月13日 10時56分 時事通信 ]


元の記事はUEFAホームページにあるNakamura's magic touchだが、人種差別に関わる部分の抜粋を以下に示す。

'Challenging'
The move from East to West has been challenging. "It's very difficult for a Japanese player coming to Europe," says Nakamura. "There are so many factors in different countries, ranging from the style of play to the obvious cultural differences. Sometimes you get racism as well, not in Scotland, but in Italy, which is not nice, and that probably explains why so few Japanese players have made it here." Nakamura has talked about playing in Brazil or Spain before rounding off his career in Japan, but Celtic fans will be satisfied to learn their talisman is thinking about revising his plans. Although he is in the final year of his contract, with the option of another 12 months, Nakamura may yet prolong his stay. "It's true I have thought about playing in those leagues, but the situation is difficult," he admits. "If I was in my early or mid-20s, I could go and play in other countries. But, because I'm 29, it might not be so easy to get that kind of move. In any case, it's not as if I'm desperate to play there."

”racism”という単語は人種差別を示す言葉であり、確かに人種差別を受けたという内容であるが、具体的にどんな差別を受けたかについては言及されていないし、それ程批判しているようには思えない。ただ、この記事を読めばイタリア人は不快感を示すことは確実で、事実そういう反応を示しているようだ。

この記事に関する疑問は大きく二つで、一つは何故中村選手がこのような発言をしたのか、もう一つはイタリアにおける人種差別とはいかなるものかだが、この二点について考察してみたい。

まず一つめについてだが、中村選手が本当に人種差別を受けたと話したかどうかは疑問だ。イタリアにおいて良くない扱いを受けたのは事実だろうし、そういった話はしたのだろうが、あえて”人種差別”という言葉を使ったのはUEFAからのメッセージと受け取るべきなのだろう。

ヨーロッパでは”人道的観点”から移民を受け入れてきたが、現在移民に関する考え方は各国でかなりの”温度差”があるのが現実だ。また、移民達がその国に適合しているとは言い難く、移民同士のコミュニティの枠に閉じこもる傾向が強い。2005年に起こったパリ郊外暴動事件はまだ記憶に新しいが、移民達のフラストレーションはかなり高く同様の事態が今後も起こる可能性は否定できない。

パリ郊外暴動事件はサルコジ内相(当時)の「社会のくず」発言が火に油を注ぐ結果になったが、この発言は多くの国民の”本音”だっただろう。サルコジ氏は現在は大統領になっているが、この”強硬姿勢”が支持に繋がった経緯がある。EU改革条約(リスボン条約)が”難産”だったのはこういった背景も一因になっている。

ただ、こういった問題はサッカー以外のことだけではない。ブラッター会長が”6+5”システムを提唱したり、ブラジル人の帰化を問題視したりしている(参考記事参照)が、それを実現するためにEUの人権政策に対してイチャモンをつけている。こういった姿勢に対し、EU及びG-14は断固反対の姿勢を取っているが、当然UEFAとしても反対だろう。とは言え、各国が外国人選手に対して必ずしも寛容な姿勢を取っているとは言い難く、”目に見えない”バリアを取り払うことでEU圏のサッカーを発展させていきたいという姿勢を示したものだと思う。

二つめであるが、言葉や文化、習慣の違いと言ったことはどこの国にもあることで、それには適応していかなければいけないし、それを問題視している訳ではないだろう。やはり、人種差別はサッカーにおけることだろう。確かに、他のヨーロッパのリーグで活躍しても、セリエAでは活躍できない選手は多いように思う。各チーム(リーグ)でプレースタイルは異なりそのプレースタイルにマッチするかどうかといった点はあるにせよ、それ以外に選手の活躍を妨げる要因はあるように思える。

ありがちなパターンとしては嫌がらせだが、そのようなことはどこでもあることだろう。程度問題はあるにせよ、大人の社会においてあまりに子供じみたことはしないだろうし、それを原因にしているようではどこへ行っても活躍できないだろう。

個人的には、セリエAでは外国人選手に与えられるチャンスが極端に少ないように思え、それがセリエAで活躍できない選手が多くなる理由だと思う。中村選手がセリエAに適応できなかったと言えばそれまでだが、他の国の選手同様にチャンスを与えられなかったという思いが”人種差別”という言葉に込められているのだろう。

スコットランドにおいては(人種差別は)ないと言うのは、サッカーの地位によるものだろう。スコットランド代表はヨーロッパの強豪とは言えないし、スコットランドリーグも強豪が集まるリーグとはとても言えないだろう。日本においても、野球やサッカーでは外国人選手に対してそれほど厳しい評価はしないように思うが、それは外国人選手が助っ人として認知されているからだろう。

ただ、日本においても相撲では話は別だ。今の大相撲は外国人力士が席巻しているが、マスコミや内舘委員を筆頭にした横綱審議委員会、そしてファンの間でも外国人力士をあからさまに嫌う雰囲気があることは否定できないだろう。それは何故かと言えば、日本人の間に”相撲は日本の国技”という意識が強いからだろう。それはイタリアでも同様で、”イタリアのサッカー(カルチョ)は世界一”という意識が強い。そのような環境下では、外国人選手は助っ人という意識はなく我が国に稼ぎに来た外国人でしかない訳で、稼ぐんだったら少々のことは我慢しろという国民の”思い上がり”に繋がっているように思う。

しかし、セリエAも大相撲も現在置かれている状況を認識しないといけないだろう。いくらイタリアがサッカー強国であるにしても他のリーグの”多国籍軍”にイタリア人だけで対抗していくのは難しいし、トラブル続きのセリエAを外国人選手だけでなくイタリア人選手でさえ敬遠する傾向があることは認めざるを得ないだろう。大相撲においても、外国人力士の台頭は競技人口減少により日本人力士の入門が減少しているという背景がある。自国の選手だけで運営したいという”理想”を掲げるのは結構だが、現在の凋落傾向を考えればやはり外部の力に頼らざるを得ないだろう。そもそもスポーツにおいて国籍を強調すること自体がナンセンスであると思うし、将来の発展を考えるのであれば外国人選手(力士)とどう共存していくかを考えた方が建設的であるし、現状の打破にも繋がるように思える。


<関連記事>
ブラッター会長は北の湖理事長なのか
サッカーに”純血主義”は必要か? あとで読む ブックマークに追加する
Category「サッカー」の前後の記事


2008-01-17 Thu 21:27:27 | trackback(0) | comment(0) | | PageTop▲
prev | home | next














管理者にだけ表示を許可する
prev | home | next
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。